2021年、横浜マリノスで活躍しJリークの得点王に輝いた前田大然選手。
驚異の足の速さと献身的なプレーが持ち味で、スキンヘッドの見た目も他の選手とは違い目立っていますよね。
2022年はスコットランド1部リーグのセルティックに期限付き移籍となり、世界での活躍が期待されています。
そんな第一線で活躍している前田大然選手ですが、高校時代に1年間もサッカー部から謹慎処分を受けていたことがあるんです。
1年間とは、なかなかの長さですよね!
なので「いったいどうして謹慎処分になったのか?」「1年間の謹慎期間中は何をしていたの?」と気になる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
また、前田大然選手が1年間の謹慎でも腐らず、プロにまでなれたところがスゴイという声もあり、なぜ更生できたのかも気になるところ。
そこで今回まとめた内容はコチラです。
前田大然の高校時代の謹慎理由はいじめ!
前田大然は1年間の謹慎期間中に何をしていた?
前田大然が更生できた理由は?
前田大然の高校時代の謹慎理由はいじめ!
前田大然選手が高校時代にサッカー部を謹慎処分になった理由は、同級生に対して行ったいじめが原因のようです。
前田大然選手は高校時代、地元大阪を離れ、名門である山梨学院高校のサッカー部に所属し、1年次から頭角を現す有力選手でした。

しかし、1年生の冬、前田大然選手は同級生に対して横暴な態度を行い、当時の山梨学院高校サッカー部の吉永一明監督にサッカー部からの除籍謹慎処分をされています。
「大然が1年生の1月か2月に規律を守れないようなことがありました。横柄な態度が同級生の中で見られたんですね。それは絶対に許されないと思い、除籍を決断しました」
引用元:SoccerDigestWeb
「横暴な態度」が具体的にどのようなものなのかについては公表されてはいませんが、「いじり」「いじられ」がエスカレートしたもので、サッカー部内に不協和音が生じるほどのものだったようですね。
寮生活を送っていた1年の冬、同級生の間で「いじり」「いじられ」が次第にエスカレートする。サッカー部内に不協和音が生じ、中心人物の一人だった前田は部から除籍された。
引用元:毎日新聞
周りを巻き込む程の「いじり」は、もはや「いじり」ではなく「いじめ」ですよね。
吉永監督が前田大然選手の実家に出向き、ご両親に対し転校も含め今後の進路を考え直すようにと伝えていることからも、当時の前田大然選手はかなり悪かった様子が伺えます。
吉永は台頭する前田の除籍を相当に悩んだ。それでも、サッカー選手である以前にひとりの人として考え、苦渋の決断を下した。大阪の実家にも足を運び、「このままでは置いておけません。転校も含めて考えていただきたい」と両親に伝えたという。
引用元:SoccerDigestWeb
このようにして前田大然選手はサッカー部からの除籍謹慎処分となり、高校2先生の1年間はサッカー部から離れることになりました。
前田大然選手は高校1年生の時からすでに、同級生の中でも群を抜く選手だったので、その分周りに対しても強く横暴な態度をとってしまっていたのかもしれませんね。
高校1年生時代の前田大然選手は残念ながら自己中心的な考えの選手だったのではないでしょうか。
前田大然は1年間の謹慎期間中に何をしていた?
では、謹慎処分となった高校2年生の1年間、前田大然選手は何をしていたのでしょうか。
一時は転校まで勧められた前田大然選手ですが、「山梨学院で優勝したい!」という本人の希望で、転校はせず、再度サッカー部に戻れるよう、山梨学院で謹慎生活を送ります。
謹慎期間中に前田大然選手が行っていた行動をまとめました。
- サッカー部の朝練が始まる前の6時過ぎから一人で走り込みや公園で自主練
- 他の生徒が登校する前に校内を掃除
- 勉強や日常生活も真面目に取り組む
さらに謹慎生活が半年ほどたった頃からは、
- 社会人サッカーチームの練習に週2回参加
この謹慎期間は寮をはなれ、両親に高校の近くに部屋を借りてもらい、真面目な生活を送っていたようですね。
まずは人としての部分を振り返り、生活態度の改善から取り組んだことがわかります。
社会人サッカーチームへの練習参加は、真面目に反省してきた前田大然選手の態度を見て、吉永監督が取り計らったものだそう。

吉永監督も影ながらずっと前田大然選手を見守っていたことがわかりますね!
一時はサッカーを辞めようと考えるほど追い込まれていたという前田大然選手ですが、社会人サッカーチームでの交流や両親の支えなど、周りに背中を押してくれる存在がいてくれたらか踏ん張ることができたと語っています。
サッカーを辞めることまで一時は考えた前田だが「サッカーは好きでしたし、それが一番にありますけど、家族の後押しや社会人のチームでも可愛がってもらえたので、そういった人の気持ちも背負ってサッカーをしないといけないと感じたので、辞めなかったのかなと思います」とコメント。苦しい時期に支えてくれる人のお陰だとし、「色々な人に迷惑を掛けたので、そういった人たちの分も頑張らないとダメだとなったので、それがあったからここまで来れたのかなと思います」
引用元:WORLD超サッカー
心を入れ替え、周囲にも恵まれ、毎日地道な努力を積み重ねていった前田大然選手。
サッカーをするために、地元を離れ山梨学院高校に入った前田大然選手にとっては、サッカーができない環境は本当につらかったと思います。
でも逃げずに向き合い、自分を変えていった、その努力や志は誰もが継続できることではないように思います。
いじめは論外ですが、こうして更生していった前田大然選手は素晴らしいですね!
前田大然の更生後の変化は?
高校1年生の時に不祥事を起こし高校2年生はサッカー部から除籍謹慎処分となりながらも、高校3年時には更生しサッカー部員からの許しも得られ、サッカー部に復帰した前田大然選手。
この謹慎期間を経て更生した前田大然選手は、人としての部分だけでなく、プレーでも大きく変化しています。
以前は攻撃時のスピードは目を見張るものがあるものの、守備は気まぐれでムラがあったのが、更生後は攻撃だけでなく守備でもチームを助け、仲間をカバーしたり、広範囲にわたってプレーするなど、チームのための献身的なプレーをするようになったそうです。
吉永監督は次のように語っています。
「1年間やってないから遅れを取り戻したい、という気持ちもあったと思うんですけど、本当に『チームのために』というのがプレーから伝わってきました。攻撃だけでなく、守備でもチームを助ける、仲間をカバーする、広範囲にわたってのプレーが出てきましたね。どの選手にも言えることですが、前に出るときは100%で出られますが、守備の時に戻るために100%で戻ることは簡単にはできません。でも、やはりあの1年のおかけで、大然は前に行くときも、後ろに下がるときもスピードが一緒になりました」
引用元:FRYDAY DIGITAL
チームのために、フォワードでありながらも守備も100%の力でする、コート内を全力で走り回るプレースタイルはこの時に形成されたのがわかります!
前田大然選手自身も、謹慎期間に一人では何もできないことがわかり、人の支えに感謝できるように変われたことが、チームのために走るというプレースタイルにつながったと語っています。
「それ(高校1年生)までは自分が自分がという感じでした。ただ、ひとりではサッカーも生活もできない。たくさんの人の支えがあるからプレーできていると再確認しました。チームのために走るというマインドは、あの時に学びました」
1年間の謹慎期間に自分と向き合い変われたことが、人としてだけでなく、選手としての成長にもつながったんですね!
こうして変わった前田大然選手は高校3年生の時のプリンスリーグ関東で得点王に輝き、プロへの道を開き、現在に至っています。
謹慎期間の1年間があったからこそ、前田大然選手は世界でも活躍する選手になれたと言えるのではないでしょうか!
まとめ
今回は、スコットランド1部リーグのセルティックで活躍している前田大然選手の高校時代の謹慎についてまとめました。
前田大然選手が高校時代に謹慎していた理由は、高校1年生の冬に起こした同級生への「いじり」がエスカレートした「いじめ」が原因でした。
謹慎期間中の前田大然選手は、早朝の走り込みや公園での自主練、生徒が登校前に校内掃除、日常の学校生活への真面目な取り組みなど、自身と向き合い反省を行動に移していますね。
それにより半年ほど経過した頃には、社会人サッカーチームに参加することを許され、サッカー部には1年後の高校3年生で復活しています。
周囲の支えや励ましがあって真面目に更生できた前田大然選手。
ダメな自分と向き合い、打ち勝った精神力の強さが素晴らしいです!
活躍を応援していきたいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました。